くるつの世迷い言

模型作ったりクルマ乗りながら「あーじゃないこーじゃない」と

なんだったんだ?

もうアラフォー直前なので、いろんなものに焦りを感じております。

運動しなきゃ、タバコやめなきゃ、と人と競うような感覚に駆り立てられます。

社会に復帰しなきゃと言いながらも、朝の弱さに泣かされたり…。

先人やフェイスブックしてるフォロワーさん達は、どう過ごしているのだろうと。

ただただ「お疲れ様です」の声をかけるしかないのです。

 

そこであるイベントで知り合った、地元の商工会議所青年団の方が仲良くなってくれて、たまにアクセスしてくれます。

近々自転車のトレイルコースができたそうで、管理人さんも紹介していただ来ました。

それが自分の琴線に触れたのか?納屋に投げてたBMX(自転車)を車に放り込んで、

トレイルコースを走るようになりました。

最初こそ膝が笑い、背中はバキバキでしたが、

お腹のポッコリが引っ込んできて、ついには腹筋が割れないかワクワクしながら、

汗だらだら流しております。

とにかくご飯が美味いことが一番ビックリしたことです。

面白いもので、以前は外に出る時は誰も気づかないような地味なフリース着て、

自信なさげだったのですが。

通って1週間、ファッションもスタジャンにキャップ、ロンTにTシャツ重ね着、

と、ストリート系ファッションに染まってしまいました。

男ながらもアンチエイジングも気にしはじめ、肌のお手入れなど気にかけるようになりました。

あーじゃないこーじゃないと画面に向かって話しかけていたこともなくなったことが、

嬉しいです。

これでネット依存スマホ依存からも離れられて行くと御の字ですが…。

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まとまってきた

本当は手記がいいんだけど、こうして文章書いてることもある意味有意義かなって。

最近大手SNSでは「マルチポストはおやめ下さい」という趣旨が書いてある。

いろんなコミュニティに同じ文章や写真を掲載しないでください、ということで、

特に模型の写真などのマルチポストは敬遠されている。

自分もそれが嫌で、ここに帰ってきた次第。

 

ただそれに対する不満や文句を書きなぐるではなく、不満や文句の真相を突き止める記録簿みたいな使い方でもいいんじゃないかって。

自分も同じSNSマルチポストすることはないが、複数のSNSに同じポストしているのだからマルチポストやっているのと一緒だ。

世間が模型仲間で固まっていたらなおさら狭く感じる。

自分が「またこの掲載かぁ~」と思っている裏腹、画面の向こうの相手もそう思っているわけで…。

できるだけ避けて、ここ一発という展示会などで発表したいと移行している。

病気療養中の自分としては一人の暇な時間が多く、キーボードを叩くことが加速してしまう。

なのでここでじっくり腰を据えて何を伝えたいかを考えなおすいい機会だと思う。

かと言って文豪でもないので言葉数少ないのだけど、喧騒を避けて考え直したい。

 

こうしてブログ書いてたら時間もすぎるし、いらぬ考えをフェイスブックなどでぼそっと言ってしまわなくなる。

それにマルチポストで過剰に承認欲求することもなくなるので、効果的。

 

余り書くことはないのだけど、いらぬ考えが出てきたらここで一旦書き留めて、

落ち着いて発信したい。

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正式なブログ

mixiを離れて以来、日記という日記を書かなくなってしまった。

書いても模型製作日記。

新しモノ好きな自分は便利な方へ偏りがちだ、書くことが便利、そういう方向。

それでこの前失敗してしまった。

日記を綴るというように、丁寧に自分の気持を書くという行為を疎かにしていたから。

そして寂しさから多くの人と交わりたい、とツイッターフェイスブックなどに流れてイイネを欲しがる日々だ。

悪いことではないんだけど、中毒状態になって疲れることを、ココへ帰ってきて改めて思い知った。

イイネをもらうたびキモチのマイナスが多くなり、寂しくなる自分の心。

いろんな人からコメントを貰うけど、そうじゃない。

誰とシェアしたいか。

そういうことを改めて実感した。

「惰性で続けるSNSなら匿名掲示板のほうが楽しい」と去っていった友達の言葉が浮かぶ。

自分としては離れることは難しい、それなら距離感を置いてやっていこうかな。

本を読んだりアニメや映画を見たり、模型もいいが自分らしさの時間をつくっていきたいなぁ。

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認められながら償う

最近の模型作りは「求道者的な作りでストイックすぎる」とお咎め入れられます。

作れば必ずツッコミが入る模型世界。

「自己満足でいいんだよ」と人は言うけど、腹の中では「そうじゃないんだよなぁ」

と自分も人の作品にツッコミ入れたくなる精神が出てきてしまうことは確か。

認められたい、優位に立ちたい、それだけのエネルギーで立っていられるって、ちょっとヘンかな。

すごいこと(技法とか)で目立ちたい思いと裏腹に、自分なりの言い訳や予防線(解釈)を入れながら投稿するって、なんか疲れる。

そうやってポストやストリームの激しいSNSで疲れて帰ってきました。

それにこうやって文字や文章と向き合うってあまりなかったし。

文字や文章、そして言葉を大事にしなかったから、ものづくりを通してその償い、赦しを乞うじているのかな。

メンターからも褒められてきたから、引き下がれず褒められ続けたいがためのマラソンになってるような、そんな苦し紛れの模型作りになってる。

 

一人で愉しむものなのに、見せることによって一人ではなくなってしまってるインターネットでの模型製作。

賞賛と同時に指摘に怯えながら作ることはちょっと置いておきたい、と思う最近のモデリングです。

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牛歩で歩いてみる

昔は走りながら考える事が多かった、そして走りながら作る。

最終的に息切れ起こして挫折を味わう、そうして無駄にしてきたキットは多数。

出来なかったでなく、見えなかったという言い方のほうがわかりやすいかも。

焦りが自分の未熟さを露呈していた。

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いま牛歩でモデリングしていますが、様々なことが出来るようになりました。

 

飲み込んだりつめ込んだりしては味はわからない、よく噛みしめて一歩を大事にしてこそキットのフィールと愉しみ方が解るんだ、と日記を書きながら思い知っています。

F6Fヘルキャットさん、横のリベットに入りました。

模型のグレーゾーン

 

プラモに対する工具やマテリアルがドンドン増えて便利さが増してきてる模型業界です。

その分模型のハードル(敷居)も高くなっていることはちょっと悲しく思うかな。

人様の前に出すには今ではそのまま塗って組み立てて終わりということが出来ない。

資料を読んだ既成概念に足を取られるパターンです。

模型が良くなってると言ったら、そうでもないような…。

模型会社も相次ぐ資料片手に鞭打つモデラーさんに泡吹いているんじゃないかなぁと。

かくいう自分も本棚がたわむほどの資料やさんでしたし、雑誌の技法や資料に振り回されてモデリングの正しさを見失った身分なので。

ココに帰ってきて腰を掛けてこれからの自分のモデリングのプランを練っているわけです。

新興メーカーも続々と出てきて、まだプラモは進化すると思いますが、最近は敢えて古いキットを弄ることを楽しみにしております。

昔のドン臭いキットを今風にアレンジしてみたらどんななるだろう?

とモールド彫ったり、リベット打ったりして、自分が出来る限りのアレンジを盛り込んで完成させるつもりです。

モデリングするときも「新しいから優れてる?じゃあ古いモノはダメなのかい?」と湾岸ミッドナイトだったかのセリフがずっと頭をよぎっています。

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今いじってるキットですが、40年前近くのキットみたいでヒケたり曲がったり、仮組み時点でひどいなと思ったのですが、それをやっつける自分の腕試しされてるようで楽しみです。

模型も遠回り、数をこなさないと、新しいブレイクスルーに踏み出せないのかなぁ。

向き合う

よく、世の中と向き合う、病気と向き合う、ってありますが。

自分はどうなんだろう?

以前のようにクスリで矯正して世の中に順ずるような、あれとはまた違ったことになるのかな?

最近模型関係での付き合いが忙しくなり、仕事探す暇があったら作品作りという生活サイクルになりつつあり、

いろんな模型展示会にお呼ばれして嬉しい半分、社会との乖離も出始め怖くなってきています。

しかし、自分の将来として多分他人と働く、という作業はごく僅かになってくると思い

ます。

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話がそれましたね、病気も人も気まぐれで、辛い時に向き合う以外知らん振りです。

重い皮膚炎患ってますが、調子いい時は塗り薬塗らなかったり塗装作業で手袋しなかったり…。

困ったときだけ病院やクスリに縋る生き方してて不味いなぁと思ってる最近です。

コンスタントに生きられなくなって、生き方を見直す地点にいるのかなって。

守ってくれる(例えば家族)などがいれば、自分の内にある発達障害に対するあしらい方もルーズになってしまいます。

健康はとても素晴らしいです、その反面、カマかけてメンタル的にも横着になるモンスターと思い知りました。

純粋な酸素が毒になるように…。

この病気、障害、という足枷があったからこそ、いい人やメンター(指導者)との出会いを続けられてるのだと思います。

 

まだ模型の技術は発展途上ですが、模型を通じての出会いが多くなり忙しくなってまいりました。

ここまで来たのだから…と足跡代わりの作品群を見て、もっと丁寧な生き方と作品作りを心がけたいと思っております。